こんにちは。
今日は、よく聞くけれども、その由来や意味を知らないという人も多いでしょう、古代中国の故事「塞翁が馬」についてお話ししたいと思います。
この故事は、一見不幸な出来事も実は幸運につながるということを教えてくれるものですが、その背景や教訓にはどんな深遠なる智慧が隠されているのでしょうか。
それでは、一緒に探ってみましょう。
「塞翁が馬」の深遠なる由来:古代中国の智慧を解き明かす
「塞翁が馬」という言葉は、中国の戦国時代に活躍した思想家・荘子の著書『荘子』の中に登場します。
その中で、荘子は次のような話をしています。
「昔、塞の国に塞翁という老人がいました。彼は馬が好きで、自分の馬を大切にしていました。ある日、彼の馬が塞から逃げ出してしまいました。近所の人たちはみんな彼に同情して、「あなたの馬が逃げたなんて、なんて不幸なことでしょう」と言いました。しかし、塞翁は平然として、「これが不幸だというのはどうしてわかるのだろう」と答えました。
しばらくして、彼の馬は野生の馬を連れて帰ってきました。近所の人たちはみんな彼に祝福して、「あなたの馬が帰ってきた上に、野生の馬まで手に入れたなんて、なんて幸運なことでしょう」と言いました。しかし、塞翁はまた平然として、「これが幸運だというのはどうしてわかるのだろう」と答えました。
その後、彼の息子が野生の馬に乗ろうとして落馬し、足を折ってしまいました。近所の人たちはまたみんな彼に同情して、「あなたの息子が足を折ったなんて、なんて不幸なことでしょう」と言いました。しかし、塞翁は相変わらず平然として、「これが不幸だというのはどうしてわかるのだろう」と答えました。
その頃、塞の国は匈奴という強大な敵国と戦争になりました。匈奴は塞の国に侵入して若者たちを捕虜にしました。しかし、塞翁の息子は足が折れていたために兵役を免れて助かりました。近所の人たちは再びみんな彼に祝福して、「あなたの息子が兵役を免れて助かったなんて、なんて幸運なことでしょう」と言いました。しかし、塞翁は最後まで平然として、「これが幸運だというのはどうしてわかるのだろう」と答えました。」
この話の教訓とは?
この話からわかるように、「塞翁が馬」は、
- 「人間の判断では幸不幸を決められない」
- 「物事には表裏一体で変化する性質がある」
- 「執着や先入観にとらわれずに、自然の流れに任せることが大切だ」
ということを教えてくれる故事です。
荘子は、この故事を通して、自分の思想である「道家」の考え方を示しています。
道家とは?
「道家」とは、
「道」という自然の法則に従って生きることを説く思想
です。
無為自然(むいしぜん)という言葉で表されます。
無為自然とは、
「人為的な干渉や強制をせずに、自然のままに任せること」
を意味します。
荘子は、人間の善悪や是非などの価値観は相対的であり、それに囚われることは不自由で苦しいことだと考えました。
そこで、彼は、人間の価値観を超えて、自然の法則に沿って生きることを提唱しました。
彼は、そのように生きることで、人間は真の自由や幸福を得られると信じました。
まとめ
さて、皆さんはいかがでしょうか。
この故事や荘子の思想に共感するところはありますか。
オレは、この故事を聞くたびに、自分の人生における幸不幸や成功失敗などの判断基準を見直すきっかけになります。
また、物事に一喜一憂せずに、落ち着いて受け入れる姿勢を学ぶ必要があると感じます。
もちろん、これは簡単なことではありませんが、古代中国の智慧からヒントを得て、少しずつでも実践していきたいと思います。
それでは、今日はこの辺で失礼します。次回もお楽しみに!
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